ポケットには47円

心の中を書きます。

こいつはヘビーだ

 巷ではバック・トゥ・ザ・フューチャーで描かれた未来が...!なんて騒がれていましたね(まるで他人事ですが、僕も映画の大ファンなので例外なく騒いでいました)。幼い頃はどんな未来が待っているんだろうと、まだ見ぬ2015年という未来に心を躍らせながら映画を観たものですが、現実に2015年になってしまえばなんてことはない。

 1985年と形は変わったものの、2015年でも基本的に人間のやってることは変わりません。僕たちは時代の変遷とともに変化しているようで、その根源の部分では何も変わっていないんだと思います。

 よくよく考えてみれば、映画の中でもそうでした。マーティたちは2015年において、1985年とは似ても似つかないような世界を目の当たりにしたわけですが、結局のところ2015年で問題になっているのは息子の交友関係がらみの問題であって、そこのところは1985年でも変わらない。それは映画で描かれた他の時代(1955年、1885年)でも同じわけです。

 人は離れたものを見るとき、それがまるで宙に浮いて、自分の立っている場所とは全く関係のないもののように感じてしまいがちです。けれども、どんな未来も過去も僕たちの立っている道の前後にあるものなのです。幼い頃にあんなに夢見た2015年も、僕が初めて映画を観た1990年代も、映画の作られた1985年も、映画の中で描かれたどんな時代でも、状況こそ違えど変わらない日常があるんだと思います。

 要するに夢のような時代など無いということです。それぞれの時代で出来ることをすること、それ以外に僕たちにできることはないんだろうと思います。

 それにしても、終焉に向かっていたとはいえ、西と東とでオリンピックをボイコットしあってたようなガチガチの冷戦時代には、1955年のベトナム戦争前の穏やかだった時代に戻ることで現実に横たわる暗い未来の予感から目を背け、いよいよゴルバチョフの登場で冷戦にも終わりが見え始めると、テクノロジーの発達した明るい未来が映画になるっていいですね。わかりやすくて。

 ちなみに僕が1989年(Part2の公開年)の人々に一言いえるのであれば、「ご存じのとおり冷戦は終わったけど、2015年になった今でもアメリカとロシアは互いにけん制しあっているよ」ということを伝えたいです。やっぱり夢のような未来なんてなくて、あるのは僕たちの行いの結果としての夢のない未来ですね。こいつはヘビーだ(笑)