ポケットには47円

心の中を書きます。

転ぶのも前のめりで

 「あのときこうしていれば」とか「こんなはずじゃなかった」と思うことは誰しもあるものだと思います。僕にもたくさんあります。むしろ人と比べても過去に対する執着は強いほうなので、暇があればそんなことを考えがちです(笑)。そんな僕が感じてきたことを自分への戒めとして今日はまとめておきます。何らかの形で読んでくださっている人のためにもなればと思います。

  • 過去は変わらない

 「いきなりそれかよ、そんなこと知ってる」と言われそうな気がしますが(笑)、個人的にはここが最大にして最強の課題なのです。山でいうならK2です。高さは世界二位ではありますが、その登頂の難しさたるや、エベレストを凌ぎます。数々の登山隊がその頂に立とうとアタックを試みましたが、ああ偉大なる自然は無情なり。その多くの試みは失敗に終わり、数多の命が奪われることとなりました。そんなことはどうでもいいですね。でもK2は大事なことを教えてくれます。失敗しても何度も試みることが大切だということです。過去が変えられないのは事実ですし、前を向くしかない。そういった中で再び山に登るチャンスがあるのだとすれば、登ってみるべきなのだと思います。K2では多くの登山者たちが命を失いましたが、その一方で何度もアタックを続け、ついに登頂を成功させた登山家たちもいます。失った過去は取り戻せませんが、未来ならば自分自身の手でつかみ取ることができます。

  • 人生の分岐点は地味

 こうだったら、ああだったらと思わずにはいられないような出来事は、自分自身にとってそれだけ大きな意味を持つ出来事であったということです。おそらく今の自分自身にとって、そこが大きな分岐点であったように感じられるでしょう。ただし、明らかに分岐点らしく人生の分岐点が存在しているということは稀で、大抵は分岐点に「見える」点は本当の分岐点ではなく、真の分岐点は別に存在しているものです。そして、それらは往々にして地味であり、静かであり、目立たないものです。明らかに目立って見える、ある一点に心は執着してしまいがちですが、その前にあったはずの見えないような小さな分岐点を探していくことは大切です。それがその経験を無駄にしないということにもつながりますし、なによりも前を向いたことで訪れるであろう新たな分岐点を見逃さないことにも繋がります。

  • もうどうでもいいや

 恐ろしいのは「もうどうでもいいや」です。僕はかなり長い間この病にかかり、意図せずに多くの人たちを傷つけたり、無下にしたりしてきました(本当にごめんなさい)。失敗を繰り返したり、そんな過去に対する執着を続けるうちに、人生そのものに対する執着をすっかり失ってしまうのです。どうせうまくいかない、だとか、自分なんかにはできないと思い込んで、もはや挑戦することを放棄してしまいます。こうなると、ここから再び立ち上がるのは本当に困難で、必要以上の労力を要します。また、時間の使い方という点でも無為な過ごし方が増え、大切なものを多く失ってしまいます。僕自身にとっては得たものもありましたが、失ったものと比べればほぼ0です。

 こうならないためには、こうだったら、ああだったらと過去に執着することを可能な限り避けて、現状で出来ることを続けていくということです。また、そうした状態に陥ってしまった時には、自分自身にとって少しだけ困難に感じられることすることが大切です。誰だってブランクがあれば、いきなり高い山に登るのは怖いものです。かつて目標だった大きな山ではなく、小さな山に登るも良し、近所のウォーキングから始めるも良し。執着すればするほど、過去にとらわれてしまいますが、比較的簡単なことから始めることで、前に向かってスムーズに動き出すことができるようになります。

  • まとめ

 偉そうにつらつらと書いてきましたが、結局のところ、前を向くということが人生において求められる重要な姿勢なんだと思います。ただ、頭ではわかっていても、うまく切り替えられないのが人間ってもので、どうしても過去についてあれこれ思いを巡らせてしまいがちです。それも当然といえば当然です。なぜならば、今の自分自身にとって確かなことは過去だけで、未来は不確かだからです。新しく知り合った人と、急に未来のビジョンなんて語り合ったりしないでしょう(笑)。お互いを深く知ろうと思うならば、お互いの過去について話をするはずです。それだけ人間は過去を重視しているということ。そりゃ過去のことばっかり考えちゃうわけだ(笑)。とはいえ、過去ばかり考えていたのではいけません。時間は前にしか進まないですし、何より未来はいずれ自分自身の過去となっていくのです。

 長い人生、嫌になることもあります。立ち止まりたくなることもあります。そんな時には無理に進まなくてもいいのだと思います。嵐の中、無理に山に登ることはありません。時には荒天をぐっと耐え忍ばなければならないこともある。けれどもそこでの長居は厳禁。山の天気は変わりやすいものです。一瞬の晴れ間も逃してはいけません。そうして登りつめた頂から見る景色は、何物にも勝るはずです。過ぎた道は過ぎた道。大切なのは自分を高くから見下ろす山頂、ただその一点なのです。